樺太日日新聞


-樺太庁広報掲載紙の権威をもって言論界をリード-

明治38年(1905)、日露講和条約によりわが国に割譲された南樺太では、軍政施行後まもなく各地で群小新聞が発行され、興亡盛衰を繰り返してきました。この乱立傾向は、昭和の時代にも甚だしく、識者は「本島の人口に比較して新聞の数極めて多く、まさに新聞洪水禍」である、と評し嘆じたほどでした。 この様な新聞界のなかにあって、『樺太日日新聞』は発行部数において断然他紙を圧倒し、加えて樺太庁広報掲載紙の権威をもって言論界をリードしました。島内開発、移民、漁業問題をはじめとする本島経営の諸点についての積極的な提言と、施政に対する直截簡明な批判とは、不偏不党を社是とした本紙の面目を如何なく発揮した証左であります。

最近の近代日本史における関心の拡大と深化に伴ない、戦前外地で発行された邦字新聞の収集が強く要請されており、すでに『満州日日新聞』『台湾日日新聞』『朝鮮新報』などのマイクロフィルム版が公開されております。『樺太日日新聞』もその関連資料の一つとして意義あるものと存じます。

なお現存紙は明治43年5月11日以降であり、従って欠号分については編集段階で八方手を尽くして探究しましたが、ついにこれを求めえませんでした。この点ご了解を乞う次第であります。このマイクロフィルム版は、国立国会図書舘と北海道大学附属図書舘の原紙をすべて調査し相互に欠号調査を行いマイクロフィルムに一体化したものです。 

明治43年(1910)5月~昭和17年(1942)1月 163リール

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